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マイク・タイソンは経済的に死んでいた?経済的転落からNetflixジェイク・ポール戦までを徹底解説!

マイク・タイソンは、かつてボクシング界を支配し巨額のファイトマネーを稼いでいたものの、2003年には約2,300万ドル(約35億円)の負債を抱え破産を申請。

なぜ、あれほどの富を手にしていた彼が、これほどの負債を抱えることになったのか?
そして、どのようにして経済的な底辺から復活を遂げたのか。

本記事では、彼の波乱万丈な経済の変遷を時系列で詳しく紹介し、2024年11月に行われたジェイク・ポールとの歴史的な試合に至るまでの軌跡を追います。

1980年代:輝かしいデビューと富の獲得

1986年、わずか20歳で世界ヘビー級王者の座に就いたタイソンは、瞬く間にボクシング界の頂点に立ちました。

彼の圧倒的な試合ぶりは観客を魅了し、試合ごとに数百万ドルの報酬を得るようになります。

1988年のマイケル・スピンクスとの試合では、約2,000万ドル(当時の約30億円)という巨額のファイトマネーを手にし、スポーツ界でもトップクラスの収入を誇るアスリートの一人となりました。

しかし、富と名声を手にしたタイソンは、豪華な生活に溺れ始めます。
高級車や豪邸、派手なパーティーに多額の資金を費やし、莫大な収入を生み出しながらも経済状況は悪化していきました。

離婚訴訟で1000万ドルの慰謝料を支払う

出典:Bustle

マイク・タイソンはこれまで3度の結婚をしています。

最初の結婚は1988~1989年の1年間という短い期間でした。

お相手は女優のロビン・ギブンス。モデル級の美人でタイソンは、テレビで彼女を見てすぐに彼女とのミーティングを取り付けたというほど彼女にメロメロでした。

2人の関係は急速に進展し結婚に漕ぎ着けましたが、その後関係はすぐに悪化。

離婚の原因はなんと元妻とブラッド・ピットがベッドの中にいるのを目撃したためとのこと。

不倫相手がすごすぎる。ブラッド・ピットも相当焦ったでしょうね。その場でヘビー級チャンピオンに殴り殺されてもおかしくない状況です(笑)

その離婚で慰謝料1000万ドル(当時の約15億円)を支払ったとされています。

1990年代:レイプ事件で刑務所へ

その後、1991年に彼の人生に暗い影が差します。

彼はレイプの罪で告発され、1992年に有罪判決を受けて3年間の服役。
この事件では、インディアナポリスの美人コンテストでミス受賞者のディズリィー・ワシントン(当時18歳)がマイク・タイソンに性的暴行を受けたとして訴訟を起こしましました。
この裁判でタイソンは20万ドル(当時の約3,000万円)以上を支払わなければならないとの噂もありましたが、訴訟の結果ディズリィー・ワシントンがいくら手にしたのか真相はわかっていません。その後彼女はメディアなどに出ることはなくなり、現在の彼女に関する情報はわかっていません。

マイク・タイソンは刑務所で3年半の刑期を過ごすことになりました。この時期、タイソンの収入は途絶え、法廷闘争にかかる巨額の費用が彼の財政に深刻な影響を及ぼしました。

1995年に出所後、タイソンは再びリングに復帰。彼は試合で高額なファイトマネーを手に入れるものの、その直後に待ち受けていたのはさらなるトラブルでした。

耳噛み事件

 

1997年、イベンダー・ホリフィールドとの試合で、相手の耳を噛みちぎるという衝撃的な事件を起こし、試合失格、巨額の罰金とライセンス停止処分を受けることに。

王者の座を奪われたことや、試合に負けたこと、などの理由でかなり激昂していたようです。

それにしても、耳を噛みちぎるとは…。ホリフィールドは2cmほど耳をちぎられたにも関わらず、激痛に耐えながらラウンドを戦い抜いたそうです。ラウンド終了後にタイソンの反則負けとなりました。

この事件による罰金は、300万ドル(約3億3,000万円)に登り、罰金に加えて1年間のボクシングライセンス停止処分を喰らっています。

詳しくはこちらの記事をご覧ください。(https://the-ans.jp/news/118864/

上記の記事によると、損失は100億円以上とも言われるほど金銭的な損失は大きかったようです。

どれだけ多額のファイトマネーが入ってきてもなかなか身につかなかったようですね。

ちなみにホリフィールドとは仲直りしたようで、ジェイクポール戦にも駆けつけてくれ、コメンテーターとして出演していました。

2000年代前半:35億円の借金を抱え破産

度重なるスキャンダルと無計画な浪費が続いた結果、タイソンは2003年に約2,300万ドル(約35億円)の負債を抱え、ついに破産を申請しました。

豪華な生活スタイルに加え、悪質な投資や詐欺被害もあり、タイソンは経済的に追い詰められていました。

2005年、ケビン・マクブライドとの試合で敗北し、ボクシングの第一線から引退を発表。彼はすべてを失った状態で、再起の道を模索することとなりました。

しかし、リングを去った後も経済的困難は続き、多額の税金や借金の返済に追われる日々が続きました。

2010年代:倒れても立ち上がる

この時、経済的に瀕死状態のマイク・タイソンでしたが、そこで終わる男ではありませんでした。

タイソンは、新たな収入源を求めてエンターテインメント業界に進出します。

2008年に、ジェームズ・トバック監督によるドキュメンタリー映画『マイク・タイソン THE MOVIE』が公開されました。

2012年には、自伝的なワンマンショー「Undisputed Truth」を開始し、その成功によって新たなファン層を獲得。「Undisputed Truth」とは、彼の自伝を舞台の上で語るワンマンショーで、2012年に初演されました。このショーは、タイソン自身が舞台上で自身の人生を語る形式で、多くの観客から高い評価を受けました。

その後、2013年には同名の自伝『Undisputed Truth』(日本では「真相—マイク・タイソン自伝」)が出版され、彼の波乱万丈な人生を詳細に綴っています。

舞台興行を通じて収入を得ることに成功し、ドキュメンタリー映画やテレビ出演を通じて再びメディアの注目を集めボクシング以外の新たな収入源を続々と作っていきました。

その数年後の2016年には、大麻ビジネス「タイソン・ランチ」を設立。

大麻合法化の波に乗り、このビジネスは年商1,000万ドル(約15億円)を超える成功を収め、タイソンの大きな収入源として確立されました。

3人目の妻との結婚

マイク・タイソンは、現在の妻であるラキハ・スパイサーさんと2009年6月に結婚しました。この結婚は、タイソンの人生に大きな影響を与えたとされています。

彼自身も「妻がいなければ自殺していた」と語っており、精神的な支えとなったことがわかります。

2009年にラキハさんと結婚して以来、タイソンの経済状況はみるみる間に改善されたところを見ると、ラキハさんはタイソンにとってあげまん女性だったのでしょう。ようやく運命の人を見つけたようですね。

2020年代:リングへの復帰とさらなる成功

2020年、タイソンはロイ・ジョーンズ・ジュニアとのエキシビションマッチでリングに復帰しました。

この試合は興行的に成功し、約1,000万ドル(約15億円)の収入を得ることとなりました。久々の復帰戦にもかかわらず、彼のパフォーマンスは健在で、多くのファンを魅了しました。

ジェイク・ポール vs マイク・タイソン

2024年11月、タイソンは再びリングに立ちます。

相手はYouTubeスターからプロボクサーに転身したジェイク・ポール。

Netflixが主催し、世界中の視聴者に向けて配信されたこの試合は、エンターテインメントとしての注目度が非常に高く、タイソンにとっても過去最高額のファイトマネーとなる2,000万ドル(約30億円)を手にする結果となりました。

前回のロイ・ジョーンズ・ジュニアとの試合に比べても倍近い金額のファイトマネーなのでかなり大きな金額だったようです。

タイソンは試合前に、「もうお金のために戦うわけではない。この戦いは、俺自身のためのものだ」と語り、経済的な成功以上に自分の名誉を取り戻すことに重きを置いていたと言います。

まとめ

ジェイク・ポールとの試合によって得た収入は、彼の現在の経済状況をさらに安定させる大きな要素となり、タイソンはビジネスマンとしても再び輝きを取り戻しています。

現在、タイソンはビジネスやメディア活動を通じて多方面で成功を収め、彼の人生は再び上向きとなっています。しかし、その裏には多くの試練と学びがあり、彼の経済的復活は単なる一夜の奇跡ではなく、継続的な努力の結果と言えるでしょう。

どんな困難があっても必ず立ち上がる王者マイク・タイソン。これからも陰ながら応援しています!