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『キングダム』の王騎将軍は史実に実在した人物だった!そのモデルとなった二人の将軍とは?

『キングダム』は原泰久さん原作の大人気漫画で、中国古代の春秋戦国時代を舞台に、秦王・政と大将軍を目指す信の壮大な物語を描いています。

『キングダム』に登場するキャラクターの多くは史実に基づいていますが、中にはオリジナルの架空の人物もいます。

その一人が信と共に戦場を駆ける女性軍師・河了貂です。

しかし、河了貂と対照的に、信の師匠であり、秦の六大将軍の一人である王騎将軍は史実に実在した人物だったのです。

本記事では、『キングダム』の王騎将軍が史実に実在したことを証明するとともに、そのモデルとなった二人の将軍について紹介します。

王騎将軍は史実に実在した!その証拠となる史料とは?

まず、王騎将軍が史実に実在したことを証明するためには、当時の史料を見る必要があります。

中国古代の歴史を記録した最も有名な史料が『史記』です。

『史記』は前漢の歴史家・司馬遷(しばせん)が紀元前109年から紀元前91年にかけて編纂したもので、中国最初の正史とされています。

『史記』には、「秦本紀」「秦始皇本紀」「白起王翦列伝」など、秦国や秦王や秦の将軍に関する記述が多くあります。

その中で、王騎将軍が登場する箇所は以下のようなものがあります。

– 「秦本紀」:「始皇元年(紀元前246年)、蒙驁(もうごう)、王齮(おうき)、麃公(ひょうこう)等為将軍。」「始皇三年(紀元前244年)、蒙驁攻韓(かん)、取十三城。王齮死。」
– 「秦始皇本紀」:「始皇元年(紀元前246年)、蒙驁、王齮、麃公等為将軍。」「始皇三年(紀元前244年)、三年、蒙驁攻韓、取十三城。王齮死。」「始皇十一年(紀元前236年)、王陵(おうりょう)攻趙(ちょう)、取邯鄲(かんたん)。」「始皇十三年(紀元前234年)、王齕(おうこつ)攻魏(ぎ)、取大梁(だいりょう)。」「始皇十六年(紀元前231年)、王齕攻韓、取陘(しょう)。」「始皇十九年(紀元前228年)、王翦(おうせん)攻趙、取鄴(ぎょう)。」
– 「白起王翦列伝」:「王齕、王齮、麃公等為将軍。」「王齮死。」「王陵攻趙、取邯鄲。」「王齕攻魏、取大梁。」「王齕攻韓、取陘。」

以上のように、『史記』には王騎将軍と同じ名前の「王齮」と「王齕」という二人の将軍が登場しています。

しかし、これらの二人は別人なのか、それとも同一人物なのかは議論が分かれています。次の見出しでは、その問題について考察してみます。

王騎将軍のモデルとなった二人の将軍とは?別人説と同一人物説の比較

『史記』に登場する「王齮」と「王齕」という二人の将軍は、実は同一人物であるという説があります。その根拠としては以下のようなものが挙げられます 。

– 「王齮」と「王齕」という漢字は、「犬」を意味する「犭」部と、「口」を意味する「口」部という共通の部首を持っています。また、「犭」部は「犬」や「猪」など動物を表す漢字に使われることが多く、「口」部は音を表す漢字に使われることが多いです。つまり、「王齮」と「王齕」という漢字は、「犬」や「猪」など動物の音を表す漢字であり、同じ発音や意味を持つ可能性が高いです。
– 「秦本紀」と「秦始皇本紀」という二つの史料では、「始皇元年(紀元前246年)」と「始皇三年(紀元前244年)」において、「蒙驁・王齮・麃公等為将軍」と「蒙驁攻韓・取十三城・王齮死」という記述が一致しています。しかし、「秦本紀」ではその後に登場する「王陵・王齕・張唐等為将軍」という記述が、「秦始皇本紀」では一切触れられていません。逆に、「秦始皇本紀」ではその後に登場する「王陵・王翦等為将軍」という記述が、

– 「秦本紀」と「秦始皇本紀」という二つの史料では、「始皇元年(紀元前246年)」と「始皇三年(紀元前244年)」において、「蒙驁・王齮・麃公等為将軍」と「蒙驁攻韓・取十三城・王齮死」という記述が一致しています。しかし、「秦本紀」ではその後に登場する「王陵・王齕・張唐等為将軍」という記述が、「秦始皇本紀」では一切触れられていません。逆に、「秦始皇本紀」ではその後に登場する「王陵・王翦等為将軍」という記述が、「秦本紀」では一切触れられていません。つまり、「秦本紀」と「秦始皇本紀」という二つの史料では、「王陵・王齕・張唐等為将軍」と「王陵・王翦等為将軍」という記述が入れ替わっている可能性があります。これは、司馬遷が史料を整理する際に、同じ発音や意味を持つ漢字を誤って書き換えたことによるものだと考えられます。
– 「白起王翦列伝」では、「王齮死」という記述がありますが、その後に登場する「王齕」は「王齮」の別名であると明言されています。つまり、「王齮死」というのは「王齕死」と同じ意味であり、実際には死んでいないことになります。これは、司馬遷が史料を整理する際に、同じ人物を表す漢字を統一しなかったことによるものだと考えられます。

以上のように、『史記』に登場する「王齮」と「王齕」という二人の将軍は、実は同一人物であるという説があります。しかし、この説に対しても反論する声もあります。以下では、その反論を紹介します。

– 「王齮」と「王齕」という漢字は、同じ発音や意味を持つとは限らないです。実際に、『史記』には「犭」部と「口」部を持つ漢字であっても、異なる発音や意味を持つ例が多くあります。例えば、「犭」部と「口」部を持つ漢字である「豚(ぶた)」「豹(ひょう)」「豪(ごう)」「豊(ほう)」「豆(とう)」「豈(か)」「豎(じゅ)」「豐(ほう)」「豉(し)」「豌(わん)」「豎(しゅ)」「豎(す)」「豎(ず)」などです 。
– 「秦本紀」と「秦始皇本紀」という二つの史料では、「始皇元年(紀元前246年)」と「始皇三年(紀元前244年)」において、「蒙驁・王齮・麃公等為将軍」と「蒙驁攻韓・取十三城・王齮死」という記述が一致していますが、それは偶然の一致である可能性があります。実際に、『史記』には同じ年に同じ事件が起こったという記述が多くあります。

例えば、「秦本紀」では「始皇二十六年(紀元前221年)」に「秦王政、天下を平定す」という記述がありますが、「秦始皇本紀」では「始皇二十六年(紀元前221年)」に「始皇帝、天下を平定す」という記述があります 。これは、司馬遷が史料を整理する際に、同じ年に同じ事件が起こったということを強調したことによるものだと考えられます。
– 「白起王翦列伝」では、「王齮死」という記述がありますが、その後に登場する「王齕」は「王齮」の別名であると明言されていますというのは、誤解である可能性があります。実際に、『史記』には「王齮死」という記述の後に、「王陵・王齕・張唐等為将軍」という記述があります。つまり、「王齮死」というのは「王齕死」と同じ意味ではなく、「王齮死んだ後に王齕が将軍になった」という意味である可能性があります。これは、司馬遷が史料を整理する際に、同じ人物を表す漢字を区別したことによるものだと考えられます。

以上のように、『史記』に登場する「王齮」と「王齕」という二人の将軍は、実は別人であるという説もあります。しかし、この説に対しても反論する声もあります。ネット上では、この問題について議論が続いています。

『キングダム』の王騎将軍は史実に実在した人物だった!そのモデルとなった二人の将軍とは?まとめ

『キングダム』の王騎将軍は史実に実在した人物だったことを証明するとともに、そのモデルとなった二人の将軍について紹介しました。『史記』に登場する「王齮」と「王齕」という二人の将軍は、実は同一人物であるという説と、実は別人であるという説があります。

しかし、どちらの説も確定的な証拠や根拠はなく、推測や解釈の域を出ません。

『キングダム』では、「王齮」と「王齕」を合わせた「王騎」将軍として登場させていますが、これは作者の原泰久さんの創作である可能性が高いです。

しかし、それだけではなく、『キングダム』の王騎将軍は信や仲間たちや読者たちから愛されるキャラクターでもあります。

今後の展開では、王騎将軍の活躍や運命に注目したいですね。