漫画「キングダム」では、秦の大将軍である麃公(ひょうこう)が合従軍との戦いで死亡します。
麃公は本能型の将軍として、敵の策を見破り、李牧(りぼく)や龐煖(ほうけん)と対峙しますが、最後は龐煖に敗れて命を落とします。
しかし、史実では麃公は生き延びており、その後も秦の戦いに参加しています。
この記事では、キングダムで麃公が死んだ理由と史実との違いについて解説します。
麃公のプロフィール
麃公は秦の大将軍で、武器は矛です。戦い方は兵法や定石を無視した「本能型」ということで、長年の実践経験から得た戦の勘を生かして、本能で戦う武将です。
豪放磊落で酒好きの麃公は小さなことに拘らない、さっぱりとした性格です。
戦場が大好きで、戦うことに生きがいを見出すという人物です。地位や名誉には見向きもしない、興味もありません。
自分の直感を信じて、ぶれることなく突き進む「本能型の将軍」と言われています。
麃公が死んだ理由
麃公が死んだ理由は、合従軍との戦いで龐煖に敗れたからです。合従軍は秦を滅ぼすために趙・魏・楚・韓・燕の五国が手を結んだ連合軍で、秦は函谷関(かんこくかん)で防衛戦を展開しました。麃公は飛信隊(ひしんたい)を率いる信(しん)と共に李牧率いる趙軍別動隊を追撃しました。李牧は南道から王都・咸陽(かんよう)に向かっており、途中で小城を次々に撃破していました78。麃公は李牧の策を見破り、追いついて背後から攻撃を仕掛けました。
しかし、李牧は「流動」という戦術で麃公軍を渦巻き状に動かし、分断しようとしました 。しかし、麃公は本能で李牧の作戦を見破っており、少しずつ李牧の本陣に近づき、ついに李牧の目の前に現れました 。李牧は麃公と対決する気はなく、側近のカイネ(かいね)を呼び戻さず、自身の兵法で対処しようとしました 。すると、李牧に向かって、禍々しい空気を放つ一つの黒い旗が近づいてきました 。なんと、その正体は馬陽(ばよう)で王騎(おうき)を討った武神・龐煖でした 。
麃公は李牧の剣である龐煖との「一対一の勝負」を飲み、部下には李牧を討取るよう命じました 。そうして、二人の戦いが始まりました 。武神の力は強大で、龐煖の一撃で麃公は吹き飛んでしまい、一太刀を浴びてしまいました 。しかし、逆に麃公も駆け引きの中で本質を見破り、想いの乗った一振りで龐煖を吹き飛ばしました 。しかし、それが麃公の最後の力でした。麃公は龐煖に「お前は武神ではなく、ただの人間だ」と言い放ち、息絶えました 。
麃公と史実との違い
麃公が死んだ理由は、キングダムでは龐煖に敗れたからですが、史実ではどうなっているのでしょうか?実は、史実では麃公は生き延びており、その後も秦の戦いに参加しています 。史実では麃公は白起(はっき)という名前で知られており、秦の六大将軍の一人です 。白起は合従軍との戦いでは函谷関を守り抜きましたが、その後も趙や楚と戦っています 。白起は紀元前257年に趙を攻めて邯鄲(かんたん)を包囲しましたが、紀元前256年に秦王政(せい)から罷免されてしまいます 。その理由は不明ですが、功高くて妬まれたからだという説もあります 。白起は罷免された後も秦に仕え続けましたが、紀元前228年に死去しました 。
キングダムで麃公将軍が死んだ理由と史実との違いについて徹底解説!まとめ
キングダムでは麃公将軍が合従軍との戦いで死亡しますが、史実では生き延びており、その後も秦の戦いに参加しています。麃公は本能型の将軍として敵の策を見破りますが、最後は龐煖に敗れて命を落とします。しかし、その生き様は信や飛信隊に大きな影響を与えます。
最後までお読みいただきありがとうございました。