参政党はなぜ“カルト”と呼ばれる?スピリチュアル・陰謀論・熱狂的支持者との関係を徹底解説

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最近、SNSやネット掲示板で「参政党ってカルト」「なんかスピリチュアル臭くて怖い」といった声をちらほら見かけます。街頭演説では人だかりができ、支持者の熱気もすごい。一方で、「波動」「目覚め」といった独特な言葉が飛び交うことに違和感を覚える人も少なくないようです。

政治団体であるはずの参政党が、なぜこうも「宗教っぽい」「カルト的」と言われるのでしょうか?

スピリチュアルな雰囲気、反ワクチンや陰謀論的な主張、そして熱烈な支持者たちの存在──

本記事では、参政党が“カルト的”と見られる背景について、冷静に、そしてできるだけ事実ベースで解説していきます。

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参政党とはどんな政党?

参政党は、2020年に設立された比較的新しい政治団体です。政党名の通り、「政治に参加すること自体を目的とする」草の根型の政党であり、「政治は誰かに任せるものではない、自分たちが声を上げるべきだ」というメッセージを掲げています。

代表的な顔として知られているのは、元吹田市議・元大阪府議であり、現在は参議院議員を務める神谷宗幣(かみや そうへい)氏です。YouTubeや街頭演説などでの力強い発信で多くの支持を集めています。

参政党の主な理念は、以下のような「5つの柱」に集約されています。

  • 教育の立て直し

  • 家族の再生

  • 食と健康の確保

  • 経済自立

  • 国のまもり

これらを見ると、伝統的な価値観や自己責任、保守的な立場を重視していることがわかります。特に「教育改革」や「農と健康」など、既存政党ではあまり表立って扱われない分野に重点を置いている点が特徴的です。

また、政党運営のスタイルにも独自色があります。選挙資金はクラウドファンディングで集め、党員の参加や協力によって候補者選定や運動方針が決まるという“DIY型政治”を掲げています。

その一方で、理念や主張の一部に“精神性”“波動”“目覚め”といった、ややスピリチュアルなキーワードが含まれているため、「保守思想と自己啓発のミックス」に見える部分があり、ここが「カルトっぽさ」を感じさせる入り口になっているとも言えます。

参政党がカルトっぽく見える理由1:スピリチュアル的要素

参政党が「カルトっぽい」と言われる理由の一つに、スピリチュアル的な表現や思想が目立つことがあります。これは党そのものというより、候補者や支援者の一部に見られる傾向ですが、外から見るとインパクトが強く、「普通の政党とは違う」と感じられてしまう要因となっています。

「波動」「目覚め」などのキーワード

参政党の支持層やスピーチの中で、しばしば登場するのが以下のような言葉です。

  • 「今、日本人が目覚めるとき」

  • 「波動を上げていこう」

  • 「真実に気づいた人たちが動き出している」

  • 「闇の勢力 vs 光の勢力」

これらは政治の世界ではあまり使われない抽象的かつスピリチュアルな表現で、自己啓発セミナーや宗教団体の教義のようにも受け取られやすい言葉です。

候補者・支援者のスピ人脈

SNSなどでは、参政党の候補者・支援者の中に、以下のような経歴や活動を持つ人が多数見られると話題になっています。

  • 波動測定機器やエネルギー調整装置の販売者

  • スピリチュアルヒーラー、チャネラー、数秘術講師

  • 宇宙の法則やレムリア文明に言及するセミナー講師

こうした人物が選挙の候補者に名を連ねたり、党のイベントに登壇していたりすることが、カルト的な印象を強める結果となっています。

 神道や日本の精神性を強調

参政党は「日本の伝統を大切にする」という立場を取っており、神道的な価値観(自然との調和、感謝の心、家族の絆)を重視しています。

これは本来は保守思想の一部でもありますが、あまりに精神性が強調されすぎると、宗教的な雰囲気として受け取られることもあるのです。

カルトっぽく見える理由2:陰謀論や反ワクチンの傾向

参政党がカルト的と受け取られる理由の一つに、「陰謀論との親和性」や「反ワクチン的な立場」があります。とくに新型コロナウイルスをめぐる発言や主張には、科学的なコンセンサスとはかけ離れたものも多く、外部からは「極端すぎる」と警戒されやすい傾向があります。

コロナワクチンに対する極端な主張

参政党は、新型コロナワクチンに強く反対する姿勢を取っており、「ワクチンは人体に有害であり、政府と大企業による支配の道具だ」といった主張を展開してきました。

2022年の参院選では、ワクチンを「殺人兵器」とまで表現した候補者も登場し、SNSを中心に拡散されました。これは自由な言論の一環ではあるものの、医学的根拠に乏しく、一般的な科学の枠組みからは逸脱しています。

また、国会で参政党の神谷宗幣議員が「新型コロナは人工ウイルスである可能性がある」という主張を展開したことも注目されました。これに対しては、与野党問わず「陰謀論的な主張だ」との批判も上がっています。

ディープステートやグローバリズム批判

参政党のスピーチや発信には、「日本は見えないグローバル勢力(ディープステート)に支配されている」といったメッセージが繰り返し登場します。

この種の主張は、欧米を中心とした陰謀論界隈でよく語られるもので、特定のエリート層がメディアや政治、経済を裏で操っているというものです。もちろん、それを信じる自由はありますが、検証困難な話があまりにも多いため、冷静な有権者からは警戒されがちです。

また、参政党の候補者や支援者の一部は「5Gは人体に悪影響」「マスクは洗脳装置」といった科学的根拠に乏しい主張を拡散したこともあり、一般からの信頼を損なう一因になっています。

メディアや学術の側からの指摘

こうした言説の積み重ねによって、参政党はメディアや研究者から「陰謀論政党」とみなされることも増えています。たとえば『中央公論』2023年12月号では、参政党の主張を「反ワクチン・ノーマスク・ディープステート」といった要素で分類し、現代日本の新しい“陰謀論ポピュリズム”として取り上げました。

学術的な視点からも、「陰謀論的思考とスピリチュアル傾向は相関している」との分析がされており、コロナ禍以降、こうした人々が参政党に吸収された構造が指摘されています。

参政党がカルトっぽく見える理由3:支持者の熱狂性と“教祖構造”

参政党が「カルト的」と言われるもう一つの大きな理由は、支持者の熱狂的な態度と、神谷宗幣氏を中心とした“教祖的”な構造にあります。政治的支持というより、「信仰に近い支持」のように見える瞬間が多く、これが第三者に強烈な違和感を与えているのです。

熱狂的な支持スタイル

参政党の街頭演説では、他の政党と比べても異常なほどの盛り上がりを見せます。演説が終わると拍手と歓声が巻き起こり、候補者が登場すれば泣き出す人すらいる。ときには「あなたの演説で人生が変わった」と涙ながらに語る支持者の姿も見られます。

こうした雰囲気は、選挙活動というよりも“自己啓発セミナー”や“宗教集会”に近いと感じる人も多く、そこに不気味さや危うさを感じる層が一定数存在します。

特にSNS上では、参政党に対する疑問や批判的な投稿に対して、熱烈な支持者が一斉に攻撃的なリプライや引用RTを行うこともあり、これが「参政党信者は怖い」という印象を与える原因になっています。

神谷宗幣氏を中心としたカリスマ構造

参政党には名目上の代表や幹部が存在しますが、実質的な“精神的支柱”となっているのが神谷宗幣氏です。神谷氏はかつて維新政治塾の塾長を務めた経験もあり、弁舌に優れ、教育・歴史・経済など幅広い分野で「覚醒」を促すような演説を繰り返しています。

彼の語り口は明確で力強く、感情に訴える内容が多いため、多くの人が心を動かされるのは事実です。ただしその一方で、「神谷氏が言うなら正しい」と無批判に受け入れる支持者が多く、思考停止状態に陥っているように見えると感じる人もいます。

一部では、「神谷教」「参政党という名の教団」と揶揄されることすらあり、これがますますカルト的なイメージを強化しているのです。

「覚醒者 vs 眠っている人たち」という二元論

参政党支持者の間では、「私たちは目覚めている」「日本人はまだ真実に気づいていない」という、ある種の優越感や選民意識が見られることがあります。

この「覚醒者」と「洗脳された大衆」という構図は、宗教団体や陰謀論コミュニティによくある二元論と酷似しており、他者との対話を断ち、社会的分断を招く危険性もはらんでいます。

 

メディアや学術界の評価・分析

参政党の主張や活動については、メディアや学術界からも注目が集まっており、近年では「新型のカルト的ポピュリズム」「陰謀論型政治運動」といった言葉で分析されることが増えてきました。

特に新型コロナウイルスの流行を契機として、「スピリチュアルな傾向」「反ワクチン的言説」「グローバル陰謀論」といった思想が可視化され、それが政治と結びついた珍しいケースとして参政党が取り上げられています。

雑誌や新聞による報道・分析

たとえば、岩波書店の『世界』(2022年12月号)では、参政党をはじめとする新興政治運動を特集し、「政治とスピリチュアル、陰謀論が融合した新しい形の政治運動」として位置づけています。ここでは、参政党の活動に見られる精神性や、対立を煽るメッセージが、既存の保守政党とは一線を画す存在だと指摘されました。

『中央公論』(2023年12月号)でも、参政党は「反ワクチン」「ノーマスク」「ディープステート」といったキーワードとともに、Qアノンや欧米の極右ポピュリズムと類似した現象として言及されています。

また、『AERA』や『毎日新聞』『東京新聞』などのリベラル系メディアは、街頭演説の様子や候補者の発言を取り上げながら、「科学に基づかない政治」や「不安や不信を利用した扇動」といった懸念を表明しています。

学術的な視点からの評価

学術研究の世界でも、参政党は「陰謀論とスピリチュアル志向の接合点」として研究対象になりつつあります。

東京大学の研究グループは、コロナ禍における人々の不安がスピリチュアル志向や陰謀論的思考を高め、それが参政党のような政党の支持につながっているという分析を発表しました。

宗教学やメディア研究の分野では、「信仰と政治の境界が曖昧になったとき、民主主義はどう変質するのか」という問題意識の中で参政党が議論されることもあります。これは単に「怪しい政党かどうか」という話ではなく、現代社会における“信じる力”と“政治参加”の関係そのものを問い直す視点でもあります。

反論・擁護の視点も紹介

ここまで、参政党が「カルトっぽい」と見られる理由を取り上げてきましたが、当然ながらそれに対する反論や擁護の声もあります。実際、参政党を支持する人たちは、自分たちが「盲信的」だとは考えておらず、むしろ「既存の政治が機能していないからこそ自分たちが立ち上がっている」と自負しています。

また、「スピリチュアル」や「陰謀論」というレッテルで参政党を一括りにしてしまうことには、一定の危うさもあります。

既存の政治やメディアに対する不信感

参政党の支持者の多くは、既存の政治家や政党、メディアに対して強い不信感を抱いています。政治の腐敗、メディアの偏向報道、大企業と政府の癒着などに不満を感じ、「誰も真実を語ってくれない」という想いから参政党に共鳴するようになったという声も少なくありません。

その意味では、参政党は「カルト」ではなく、「体制への不信に応答した結果として生まれた政治的オルタナティブ」と見ることもできます。

「目覚め」や「波動」は単なる比喩表現?

参政党の発信に見られる「目覚め」「波動」といった言葉も、必ずしもスピリチュアルな意味だけではなく、「主体的に考えること」「自分の頭で判断すること」といった比喩的な使い方をされている面もあります。

それを文字通りに受け取り、「怪しい」「宗教的だ」と一方的に断じてしまうのは、フェアではないという見方も存在します。

「陰謀論」ではなく「問題提起」だという立場

たとえば、ワクチンに対する懸念も、政府や大手メディアが説明責任を果たしてこなかった結果、疑問の声が一部過激化しただけであり、それ自体は「多様な意見」の一つに過ぎないという主張もあります。

また、グローバリズムや国際的な経済支配の問題に関しても、「裏で何かが動いているのでは」という疑念は、完全な妄想ではなく、一定の経済的・政治的文脈の中で説明できる部分もあります。

支持者の“熱量”は、真剣に生きている証では?

街頭演説での熱狂や涙、SNSでの応酬などを「盲目的だ」と批判する声もありますが、本人たちは「本気で日本を変えたい」「子どもたちの未来を守りたい」という一心で行動しているだけだと考えています。

信念を持って立ち上がる人たちに対して、単に「宗教っぽい」「気持ち悪い」と切り捨てるのは、分断を深めるだけだという指摘もあります。

まとめ:参政党はなぜ“カルトっぽく”見えるのか

参政党が「カルトっぽい」と言われる背景には、いくつかの明確な要素が存在します。

スピリチュアルな表現、反ワクチンや陰謀論的な言説、支持者の熱狂的な態度――これらはいずれも、従来の「政党」から連想されるイメージとはやや異なるものであり、初めて触れる人には強い違和感を与えやすいものです。

また、党の中核を担う神谷宗幣氏に対する支持の集まり方や、「覚醒者 vs 洗脳された大衆」といった二項対立的な世界観も、信仰集団や啓蒙団体を連想させる構図と重なる部分があります。

ただし重要なのは、「カルト的」というレッテルを貼ることで、すべての議論を打ち切ってしまわないことです。

参政党の主張の中には、既存の政治が正面から取り上げてこなかった問題提起が含まれているのも事実ですし、支持者の中には真摯な危機感と向き合いながら、自分の考えで動いている人も多くいます。

問題は、極端な言説や疑似科学的な内容が“党としての公式な立場”と混在し、政治と信仰の境界が曖昧になっていることです。その状態が続けば続くほど、外部からは「宗教的」「カルト的」と見られるのは避けられません。

だからこそ、見る側の私たちも、ただラベルを貼って遠ざけるのではなく、どこまでが健全な政治活動で、どこからが危うい信念体系なのかを冷静に見極めていく必要があります。

それは参政党に限らず、あらゆる政治運動を見るうえで、今の時代に求められている姿勢なのかもしれません。

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