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細魚 木山裕策は会社員から歌手へ、夢を追い続ける男の物語について徹底解説!

細魚 木山裕策と聞いて、あなたはどんなイメージを持ちますか?

2008年にデビューした歌手でありながら、2019年までは会社員として働きながら週末限定で歌手活動を行っていたという異色の経歴を持つ人物です。

そのニックネームの「細魚」は、フジテレビの番組『千鳥の鬼レンチャン』で付けられたもので、彼の細身の体型と歌声に由来しています。

この記事では、細魚 木山裕策のプロフィールや経歴、代表曲や活動内容などを紹介します。

細魚 木山裕策プロフィール

– 本名:木山 裕策(きやま ゆうさく)
– 生年月日:1968年10月3日
– 出身地:大阪府大阪市京橋
– 学歴:大阪外国語大学外国語学部スペイン語専攻
– ジャンル:J-POP
– 職業:歌手
– レーベル:tearbridge_records(2008年-2015年)、ユニバーサルミュージック(2016年-2019年)、キングレコード(2020年-)
– 事務所:tearbridge production(2008年 – 2019年)
– 公式サイト:[木山裕策OFFICIAL WEB SITE] – 憧れの歌手:ビリー・ジョエル
– 家族:妻と4男

経歴

デビュー前

木山裕策は、高校教師の父と美容師の母の間に生まれました。父親は広島の出身です。大阪府立大手前高等学校を経て、大阪外国語大学外国語学部スペイン語専攻(現・大阪大学外国語学部)に入学しました。大学時代にバンドを結成し、ボーカルを担当しました。ビリー・ジョエルを好んで歌っていました。

プロ志望を断念し、シナリオライターを目指しながらアルバイト生活をするも挫折し、会社員となりました。2004年頃、左側の甲状腺に悪性腫瘍が見つかり、全摘出手術を受けました。手術の際に声帯と繋がる神経(反回神経)を傷つけてしまう可能性があり、もし無事に手術が終わり、声が出るように回復すれば、歌手という夢へ挑戦することを決意しました。その後、手術は無事成功し、声は残りました。手術後、リハビリによって歌を歌えるまでに回復しました。自分の声をCDに残して子供たちに聞かせたいと熱望するようになりました。

2007年、日本テレビ系『歌スタ!!』に出演し、平井堅の「瞳をとじて」、さらに追試でビリー・ジョエルの「Piano Man」を歌唱し、番組においてウタイビトハンター(審査員)として参加していた多胡邦夫の目に留まりました。後に楽曲「home」を制作し、番組内で最終プレゼンテーションを行いましたが、不合格でした。その時点でメジャーへの道を諦めようとしましたが、多胡の説得を受け、フルコーラスで仕上げた2度目のプレゼンテーションによってデビューが決定しました。

デビュー後

2008年2月6日、シングル「home」でtearbridge_recordsからメジャーデビューしました。同年12月31日の『第59回NHK紅白歌合戦』に初出場しました。

2016年、レコード会社をユニバーサルミュージックに移籍しました。移籍後第1弾アルバム『F 守りたい君へ』を3月2日に発売しました。「home」の続編となる新曲「旅立ち~home2016~」他、カバー楽曲を収録しました。ディスクジャケットには佐々木健介と彼の長男の後ろ姿を撮影したものが使用されています。

医療関係の講演活動も積極的に行っており、2019年には朝日新聞社が運営する「ネクストリボン〜がんとの共生社会づくりを目指して〜」プロジェクトのテーマ曲「幸せはここに」をリリースしました。

2020年1月、レコード会社をキングレコードに移籍しました。同年内に4枚のアルバムを発表しました。歌手活動と講演活動を中心とした生活を送るようになりました。

2021年から安田ファミリーとしてのコンサート活動を開始することを発表しました。

代表曲

– home
– I believe/永遠
– 手紙
– 幸せはここに
– 旅立ち~home2016~

活動内容

– 歌手活動:シングルやアルバムの発売、ライブやコンサートなど
– 講演活動:がん患者や医療関係者などに向けて自身の体験やメッセージを伝える
– テレビ出演:『千鳥の鬼レンチャン』『FNS27時間テレビ』など

細魚 木山裕策 – 会社員から歌手へ、夢を追い続ける男の物語について徹底解説!まとめ

細魚 木山裕策は、会社員から歌手へと夢を追い続けた男です。甲状腺がんの手術をきっかけに歌手デビューを果たし、週末限定で歌手活動を行っていました。そのニックネームの「細魚」は、フジテレビの番組『千鳥の鬼レンチャン』で付けられたものです。

最後までお読みいただきありがとうございました。