星野道夫さんは、1996年にロシアで、ヒグマに襲われて亡くなりました。
日本を代表する自然写真家でしたが、彼の死を世界中の写真家に衝撃を与えたのです。
多くの追悼の言葉や、作品が寄せられました。
本記事では、星野道夫さんの死を悼む世界の写真家たちの話や、死因となった日ぶま襲撃事件に関してお伝えをしていきます。
・星野道夫って誰?
・星野道夫の死を悼む世界の写真家たち!
・星野道夫の死因となったヒグマ襲撃事件
・星野道夫の死亡する前の最後の写真に関してSNSでの反応
星野道夫って誰?
熊による事故は過去にも幾つか起きてるけど……………その中でも自分にとって印象深いのは写真家の星野道夫氏が『どうぶつ奇想天外!』の番組取材中にロシアでヒグマに襲撃されて死亡した事件やなぁ……………(・∀・;) pic.twitter.com/HJ9TGHJ7SR
— 大河阪急@HK-08 (@hankyu_taiga) June 18, 2021
本名 | 星野 道夫 |
ふりがな | ほしの みちお |
生年月日 | 1952年9月27日 日本・千葉県市川市 |
没年月日 | 1996年8月8日(43歳没) ロシア・カムチャツカ地方クリル湖畔 |
言語 | 日本語 |
最終学歴 | 慶應義塾大学経済学部卒業 アラスカ大学フェアバンクス校野生動物管理学部中退 |
師匠 | (田中光常) |
活動時期 | 1973年 – 1996年 |
星野道夫さんは、写真家であり探検家です。
アラスカの自然や、動物を撮影したことで有名な人です。
1952年に千葉県市川市に生まれ、16歳のときに北米大陸を旅行しました。
その後、慶應義塾大学を卒業し、アラスカ大学に入学しましたが、中退して写真家として活動しています。
1989年には、木村伊兵衛写真賞を受賞し、1993年に萩谷直子さんと結婚しています。
さらに、翌年に長男が生まれました。
1996年にロシアのカムチャツカ半島でテレビ番組の撮影中に、ヒグマに襲われて亡くなったのです。
彼の写真やエッセイは、多くの人々に愛されています。
星野道夫さんは少年時代に、千葉県市川市で過ごし通い始めた学習塾を、1日でやめています。
実家には今も屋酔っていた通っていた市川市立平田小学校から、児童がインタビューのために訪れるらしいですね。
星野道夫の死を悼む世界の写真家たち!
熊の事故と言えば、写真家の星野道夫さんがTV番組のロケ中に襲われて死亡した顛末も悲惨。
— inui (@tatumi140) April 9, 2017
星野道夫さんは、日本を代表する写真家であり、探検家であり、詩人でした。
星野道夫さんはアラスカの自然や動物、人々との交流を美しく切り取り、その魅力を世界に伝えたのです。
しかし、1996年8月8日、ロシアのカムチャツカ半島でヒグマに襲われて命を落としました。
彼の死から今年で20年が経ちますが、彼の作品や人柄は今もなお多くの人々に愛されています。
特に、彼と同じく写真家として活動する人々は、彼の死を深く悼み、彼の影響を語ります。
アメリカの写真家スティーブ・ウィンターさんも、星野道夫さんと同じく野生動物を撮影しているようです。
スティーブ・ウィンターさんはナショナルジオグラフィック誌の専属カメラマンであり、トラやヒョウなどの大型ネコ科動物を中心に撮影しています。
スティーブ・ウィンターさんは星野道夫さんについて、「彼は私のヒーローであり、私の仕事に大きな影響を与えた」と語っていました。
また、スティーブ・ウィンターさんは、星野道夫さんの写真に感銘を受けたことで、自分もアラスカに行って撮影したいと思ったそうです。
スティーブ・ウィンターさんは、1997年にアラスカに渡り、星野道夫さんが撮影した場所や動物を訪ねました。
その時の様子を「星野道夫へのオマージュ」として、写真集『Alaska』にまとめたそうです。
その中で、「星野道夫は私たちに自然の美しさと脆さを教えてくれた。彼は私たちに自然と共生する方法を示してくれた。彼は私たちに自然を守る責任を感じさせてくれた」と書いています。
イギリスの写真家ジム・ブランデンバーグさんも、星野道夫さんと同じく野生動物を撮影することで知られています。
ジム・ブランデンバーグさんは特にオオカミやクマなどの犬科や熊科動物に関心が深く、その生態や行動を長期間追跡して撮影しているのです。
ジム・ブランデンバーグさんは、星野道夫さんについて、「彼は私の友人であり、同志であり、師匠でした」と語っています。
また、ジム・ブランデンバーグさんは、1980年代から1990年代にかけて何度もアラスカに行き、星野道夫と一緒に撮影したことがあるそうです。
その時の様子を「私たちはお互いに刺激し合いました。私たちはお互いに尊敬し合いました。私たちはお互いに学び合いました」と、いっています。
彼は星野道夫さんが亡くなった時に、「私は自分の兄弟を失ったような気がしました」と、悲しみを表現していたようです。
日本の写真家岩合光昭さんも、星野道夫さんと同じく、野生動物を撮影することで知られています。
岩合光昭さんは特にネコ科動物に関心が深く、その魅力や個性を撮影しているようです。
岩合光昭さんに関しても、星野道夫さんについて、「彼は私の先輩であり、ライバルであり、友人でした」と語っています。
また、星野道夫さんと同じく、田中光常さんの助手を経験したことがあると言います。
その時の様子を「私たちはお互いに、切磋琢磨しました。私たちはお互いに競い合いました。私たちはお互いに励まし合いました」と、振り返った話もしたそうです。
岩合光昭さんは、星野道夫さんが亡くなった時に「私は自分の親友を失ったような気がしました」と、嘆いています。
星野道夫さんは、写真家としてだけでなく、人間としても多くの人々に影響を与えています。
星野道夫さんの死を悼む世界の写真家たちは、星野道夫さんの作品や人柄を称え、彼の志を引き継ぎ、自然や動物を撮影し続けているのです。
星野道夫の死因となったヒグマ襲撃事件
被写体に食われて死亡した写真家・星野道夫氏 … 1996年、TBS『どうぶつ奇想天外!』で「ヒグマと鮭」を題材にした写真を撮影しようとし、実際に起きてしまった最悪の事故 https://t.co/edmcv6rco9 pic.twitter.com/fYeWtaaeJN
— にわか日報@画像つい (@niwakan_com) May 2, 2016
星野道夫さんは、日本の写真家で、アラスカやロシアなどの自然や野生動物を撮影していました。
1996年8月8日、ロシアのカムチャツカ半島でTBSのテレビ番組『どうぶつ奇想天外!』の取材に同行していたときに、事件が起きてしまったのです。
星野道夫さんが、テントで泊まっている最中にヒグマに襲われて、亡くなりました。
この事件に関して、日本や世界中に衝撃を与えたのです。
事件の経緯は、星野道夫さんがヒグマと鮭をテーマに、撮影をするためTBSスタッフ3名とロシア人のガイド2名で、クリル湖畔しました。
星野道夫さんが小屋から数メートルほど離れたところで、テントを張って1人で泊まることにしたのです。
その理由は、クマが襲ってくる可能性が、低いと考えたといわれています。
事件の2日前から同じ場所に別のアメリカ人の写真家が、テントを張っていたのです。
その写真家は星野道夫さんのテント近くで、ヒグマを何度か目的していたといいます。
目撃したと思われるヒグマは、体長2メートル以上で体重250キログラム以上の巨大雄クマで、しかも額に赤い傷があったという話です。
事件当日の午後4時ごろに、星野道夫さんのテントがヒグマに襲われてしまいました。
星野道夫さんはテントから逃げ出そうとしたそうですが、間に合わずヒグマに引きずり出されてしまったのです。
その様子は小屋から聞こえる叫び声や物音で、スタッフやガイドは気がついたのです。
スタッフとガイドはすぐに駆け付けて、日ぶまを追い払おうとしたのですが、手遅れでした。
星野道夫さんは重傷を負ってしまい、救急車が到着する前に息を引き取ってしまいました。
星野道夫の死亡する前の最後の写真に関してSNSでの反応
星野道夫さんのことはもちろん知っているし素晴らしい写真やら自然の諸々を伝えた著名な方だということもわかってはいるが死因がクマに襲われたこと(しかもご本人の判断ミスで油断しての死亡)だったことを知った時は結構ショックというか、人は自然には勝てないんやなと思ったというか
— つむぎ (@horizon1222) April 2, 2020
星野道夫さんの死亡する前の最後の写真に関してSNSでの反応は、やはり星野道夫さんの死については、ショックを受けている人は多いようです。
厳しい意見ですが、やはり判断ミスと油断をしていたことで、クマに襲われ逃げ遅れたということになります。
最後の写真に関しての意見は、まったくありませんでした。
星野道夫の死を悼む世界の写真家たち!死因となったヒグマ襲撃事件なども検証【まとめ】
星野道夫さんが亡くなったことに対し、世界中の写真家に衝撃を与えました。
ただ、星野道夫さんの判断ミスと油断により、クマに襲われて死亡したかのせいも否定できません。
もし、クマが出るという緊張感により、何らかの対策をしていれば、助かった可能性もあるのではないかと思います。