漫画『キングダム』では、秦国の名将・王翦の息子である王賁は、信や蒙恬と並ぶ三大若手将軍の一人として活躍しています。
しかし、王翦が「息子が討たれる」という発言をしたことから、王賁の死亡説が浮上しています。漫画ではまだ死んでいませんが、史実ではどうなったのでしょうか?
漫画と史実の違いを探ってみましょう。
漫画『キングダム』での王賁
漫画『キングダム』では、王賁は秦国の名門貴族・王家の嫡男として育ちました。父・王翦から槍術を教わり、自ら率いる騎馬隊・玉鳳隊を駆使して戦場で活躍しています。また、龍指という変則的な突き技を使いこなし、中華最強の槍使い・紫伯や趙国の将軍・楊端和に勝利するなど、高い戦闘能力を持っています。
王賁はプライドが高く、下僕出身の信や百姓出身の飛信隊に対して嫌悪感を示していましたが、次第に信や蒙恬と共に天下の大将軍を目指す仲間として認めるようになりました。しかし、父・王翦は息子に対して冷淡であり、王賁は父から認められることを望んでいます。
史実での王賁
史実では、王賁は紀元前259年に生まれました。父・王翦は秦国の名将であり、紀元前236年に趙国の首都・鄴を攻略し、紀元前230年に趙国を滅ぼし、紀元前224年に楚国を滅ぼしました。王賁は父に従って戦い、紀元前226年に楚国を攻撃し、紀元前225年に魏国を滅ぼし、紀元前222年に燕国と代国を滅ぼし、紀元前221年に斉国を滅ぼしました。このように、王賁は中華統一に大きく貢献した人物です。
史実では、王賁は始皇帝死後に起こった陳勝・呉広の乱や趙高の乱などの混乱期を生き延びましたが、紀元前215年に死去しました。死因は不明ですが、暗殺や処刑などではなく自然死と考えられます。王賁は44歳で亡くなりました。
『キングダム』で王賁は死ぬのか?漫画と史実の違いについて徹底解説!まとめ
漫画『キングダム』では、王賁はまだ死んでいませんが、史実では紀元前215年に死去しました。漫画では王賁の死亡説が浮上していますが、史実では王賁は中華統一に大きく貢献した名将として歴史に名を残しました。漫画ではどのような最期を迎えるのか、今後の展開に注目です。