浄土真宗は、鎌倉時代に親鸞聖人によって開かれた仏教の宗派です。
阿弥陀仏の本願力によって救われるという信仰を基盤とし、僧侶の肉食妻帯や戒律の否定など、他の仏教宗派とは異なる特徴を持ちます。
この記事では、浄土真宗の教義や習俗を紹介し、なぜそれが現代社会においてやばいのかを考察します。
浄土真宗とは何か
浄土真宗とは、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨です。
鎌倉時代初期の僧である親鸞聖人が、その師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教えを継承し展開させました。
親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願(四十八願)と、本願によって与えられる名号「南無阿弥陀仏」を浄土門の真実の教え「浄土真宗」であると示しました。
この教えが「本願を信じ念仏申さば仏になる」という歎異抄の一節で端的に示されています。
親鸞聖人は名号を「疑いなく(至心)我をたのみ(信楽)我が国に生まれんと思え(欲生)」という阿弥陀仏からの呼びかけ(本願招喚の勅命)と理解し、この呼びかけを聞いて信じ順う心が発った時に往生が定まると説きました。
そして往生が定まった後の称名念仏は、「我が名を称えよ」という阿弥陀仏の願い(第十八願)、「阿弥陀仏の名を称えて往生せよ」という諸仏の願い(第十七願)に応じ、願いに報いる「報恩の行」であると説きます。
そのことを「信心正因 称名報恩」と言います。
念仏を、極楽浄土へ往生するための因(修行、善行)としては捉えないのです。このことは名号となってはたらく「如来の本願力」(他力)によるものであり、我々凡夫のはからい(自力)によるものではないとし、絶対他力を強調します。
浄土真宗の習俗と特徴
他の仏教宗派に対する浄土真宗の最大の違いは、僧侶に肉食妻帯が許される、戒律がない点です。
そもそも「一般の僧侶という概念(世間との縁を断って出家し修行する人々)や、世間内で生活する仏教徒(在家)としての規範からはみ出さざるを得ない人々を救済するのが本願念仏である」と、師法然から継承した親鸞聖人が、それを実践し僧として初めて公式に妻帯し子をもうけたことに由来します。
そのため、浄土真宗には血縁関係による血脈と、師弟関係による法脈の2つの系譜が存在します。
与えられる名前も戒名ではなく、法名と言います。
浄土真宗は、ただ阿弥陀仏の働きにまかせて、全ての人は往生することが出来るという教えから、多くの宗教儀式や習俗にとらわれず、報恩謝徳の念仏と聞法を大事にします。
加持祈祷を行わないのも大きな特徴です。
また合理性を重んじ、作法や教えも簡潔であったことから、近世には庶民に広く受け入れられましたが、他の宗派からはかえって反発を買い、「門徒物知らず」(門徒とは真宗の信者のこと)などと揶揄されることもありました。
浄土真宗が現代社会にやばい理由
浄土真宗が現代社会にやばい理由は、その教えが現代人の心の悩みや苦しみに寄り添うからです。
現代社会は、情報過多や競争激化、コロナ禍などで多くのストレスや不安を抱えています。
自分を高めようと努力したり、自分を否定したりすることで、ますます心が追い詰められていきます。
そんな時に浄土真宗の教えは、「自分はそのままでよい」というメッセージを伝えます。
阿弥陀仏は、私たちがどんな人間であろうとも、そのまま受け入れてくださいます。
私たちは自分を変えようとしなくても、阿弥陀仏の本願力によって救われることができます。これは、「自分を認める」ということではなく、「自分を捨てる」ということです。
自分の力や知恵や善悪や功罪などをすべて捨てて、阿弥陀仏にまかせることです。
これは、「自己肯定感」や「自己啓発」ではなく、「自己否定感」や「自己放棄」です。しかし、これこそが真の解放であり、真の安心であります。
浄土真宗の教えは、「他者への思いやり」や「社会への貢献」も促します。
阿弥陀仏によって救われた私たちは、「報恩謝徳の念仏」として、阿弥陀仏の恩に報いることができます。
その報恩の方法は、阿弥陀仏の願いである「一切衆生皆成仏」に沿って、他の衆生を救うことです。
私たちは自分だけが救われるのではなく、すべての人が救われることを願います。そのためには、他者との和合や社会との調和を大切にします。
浄土真宗では、人間は孤立した存在ではなく、他者との関係性によって成り立っていると考えます。その関係性を「縁」と呼びます。
私たちは無数の縁によって生かされており、その縁に感謝することが必要です。
その感謝の気持ちを「敬愛」と言います。
敬愛は、自分と他者との平等性や尊重性を意味します。
私たちは自分も他者も阿弥陀仏によって救われる凡夫であるという共通点を持ちます。
その共通点を認めて、互いに助け合うことができます。
現代社会では、個人主義や利己主義が蔓延し、他者や社会とのつながりが希薄になっています。
自分の欲望や利益を優先し、他者や社会の利益を無視することが多くなっています。
その結果、対立や紛争や差別や暴力などが起こりやすくなっています。
浄土真宗の教えは、このような現代社会において、「他者への思いやり」や「社会への貢献」を再認識させることができます
。私たちは自分だけではなく、他者や社会とも繋がっていることを意識し、その繋がりに感謝し、その繋がりを大切にすることができます。
それは、阿弥陀仏の本願に応えることでもあります。
【まとめ】
浄土真宗は、親鸞聖人によって開かれた仏教の宗派です。
阿弥陀仏の本願力によって救われるという信仰を基盤とし、僧侶の肉食妻帯や戒律の否定など、他の仏教宗派とは異なる特徴を持ちます。
この記事では、浄土真宗の教義や習俗を紹介し、なぜそれが現代社会においてやばいのかを考察しました。
浄土真宗の教えは、「自分はそのままでよい」というメッセージを伝えることで、現代人の心の悩みや苦しみに寄り添います。
また、「他者への思いやり」や「社会への貢献」も促すことで、現代社会における個人主義や利己主義に対抗します。浄土真宗は、現代社会において必要な教えであると言えるでしょう。